「音楽は勉強?」
今より四半世紀少し前、恐らく私の親くらいの世代だと思いますが、高度経済成長期のさなか「ピアノが一家に一台」が当たり前といったように、
一種のステータスとして黒く輝く本物のピアノを持つ家庭が一般的になりました。
またその頃は家族のために必死に頑張り、生活を支えてきたがゆえ、かつて自分達ができなかった夢や
あこがれであったピアノをもし自分の子供が弾けるようになれば・・と思う親御さんは少なからずおられたことでしょう。
このように「ピアノを持つこと」「ピアノを習うこと」が日本ではある種のステータスとなり始めたことにより、親の勧めもあって子供を中心に多くの人が
ピアノを習い始めるようになりました。が、同時に習い始めてすぐにやめる子、嫌いになる子も多く現れました。
やめてしまう原因は何でしょう?ひとことで言ってしまえば「楽しくない」「苦痛だ」といった理由がほとんどなのです。
私がまだ小学生の頃、うちに「クラシック名曲集」と銘打ったレコード集がありました。実は私は小学校高学年に至るまで音符がまったく読めないまま過ごしていました。
けれどもこれらのレコードに収められている曲、とくにショパンやリストのピアノ曲を聴くのはとても好きでしたし、聴いて子供ながらに感動しながら過ごした記憶があります。
しかしやはりある時「どうしても自分で弾きたい」と思うようになり、ショパンだったかのピースを買って、確か母親に5線の上のどこが「ド」になるのか教わった記憶があります。けれどもショパンの名曲ともなると「ターン」やら「トリル」といった
音楽とは無縁の私の家族には到底解り得ないであろう記号の数々が登場するのです。このようないきさつがあって、小学5年になって初めて近所のピアノ教室に通い始めるようになり・・・
誰しも自分の知りたいこと、興味のあることは調べたり、深く追求したりします。難しい数式でも物理学書でも学者、研究者にとってはこの上なく
面白く、楽しいものなのです。好きなことや興味のあることを「知りたい」「出来るようになりたい」と思ったその瞬間、これらはその人にとっては「お勉強」でなくなるからです。
このように自分が好きで始めたことは大抵長続きします。ところが特に年齢の幼い子供がまだピアノが好きかどうかも分からないうちに親の勧めでピアノを習い始める場合、最初の原体験とも言うべき経験が
後々音楽嫌いになるか否か大きな要因を占めることになります。親や本人をはじめ、先生までもが「音楽」をいわゆる塾などの「お勉強」として認識し続ける限り、きっと音楽とはこの上なくつまらなく、苦痛なもので終わってしまうでしょう。
大事なことは「音符を読ませること」でも「指を正確に回らせる」ことではなく、子供、初心者達に「ピアノで音を鳴らすことは楽しい」から始まり、
「その音で歌うことは嬉しい、楽しい」といった単純な喜怒哀楽なのですが、これらを音楽を通じて感じられる、体験させてあげられるかどうかなのです。
最初はたとえ指一本で一音から始まったことだとしても、このようにポジティヴな感情を伴って出来たことであれば、「やった、出来た!」と誰しも思うことでしょう。
最初は傍から見れば、単純で小さなことかもしれませんが、こうした達成感がいろんな興味、可能性に繋がっていくのです。ここで「傍から見た」場合の親御さんなり先生が
「早く自分の思うように」「早く両手で・・」などとやり始めると・・・どうなるかはあえて書かないことにしましょう。