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「クラシックは分からない?」

あなたがとあるシェフが営むそれなりのレストランに行ったとしましょう。料理を注文して「あまり大したことないな・・」と思ったとします。 その結果「あの料理はあまり美味しくなかったな」としごく当然の感想を皆持つことでしょう。まずもって「自分は料理人ではないし、技術がないから、この料理の美味しさが分からないんだ・・」 「きっと、自分以外の人が食べれば本来美味しいものであるに違いないのだろう・・」などと解釈してくれる、レストランにとってはこの上なく有難いお客さんはいないでしょう。

料理に限らず、映画や小説を鑑賞する場合は自分は映画監督でも小説家でもないのに、「あれは面白くない」「つまらない」といった感想を当然のように述べますが、ことクラシック音楽になると 「自分はクラシックはよく分からないけど・・」といった前置きをよく耳にします。何故でしょう?不思議ですね。

自分がかつてパリでリサイタルをした際、見ず知らずの人からいろんな感想を言われて最初驚いた記憶があります。「さっきのメシアンはフランス人が弾くよりも良かった」とか 「あなたのモーツァルトはちょっと重すぎる」など、みなそれぞれ率直な感想を自由に述べるのです。途中で演奏が悪ければ、平気で席を立って帰ってしまう人もいるし、「義理で最後まで」なんて いうのは日本人独特の気遣いなのかもしれません。

クラシック音楽はもともとヨーロッパ、西洋の文化ですので、これら現地の人たちは日常的な娯楽の一種として、とても身近に接してきているのです。街を歩けば電車の中でも、路上でも技術云々は別として ヴァイオリンやアコーディオンの演奏を聴くことができるのです。一方日本へは明治時代になってからこれら西洋音楽の楽譜やピアノ、ヴァイオリンといった楽器が入ってきました。「音楽取調所」という 専門機関(現在の東京藝術大学)ができたことにより、ここを中心に西洋音楽の吸収、研究や指導が始まっていったのです。

こうした日本の明治以降の時代背景の中、西洋音楽はある種の「学術、研究対象」といった地位に置かれるようになってしまったのではないでしょうか。 このことにより本来日常の娯楽であった音楽は、日本ではある種の特権階級やエリートたちのたしなみの一つになってしまってしまい、 一層一般の民衆からは遠い、敷居の高いものとしてとらえられるようになってしまったように感じられます。

音楽の起源をたどれば「人類最古の娯楽」なのです。大昔、人々が火を囲み、酒を飲み、そして太鼓のようなものを叩き、歌い・・・ 想像するだけで楽しそうで、気楽なイメージが沸きます。「分かる、分からない」ではなく、その人にとって「好きか、好きじゃないか」という反応が本来とるべき自然な姿ではないでしょうか。

パリでは\2000~\3000でポリーニやツィメルマンといった一流の演奏家が聴けるのに、何故日本ではこうした一流の演奏家のチケットが未だに1万も2万もするのでしょうか・・

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