千葉県にあるピアノ教室です。楽しく上達!初めてのお子様、プロを目指す方も学んでいます!

「ピアノの基礎はピアノではない」 ~譜面の読めない子供たち~

「ドレミファソ~ラファミ・レ・ド・・ソ~ファミソファミレ....」 某大手音楽教室のCMでおなじみのメロディーです。 このメロディーを歌う子供たちの活き活きとした表情が印象的ですね。

このCMを見るたびに思うのですが、あの大勢の子供たちの目線の先にはいったい何があるのでしょうか? 音の名前を書いた楽譜? あるいは指揮をする先生? 残念ながらCMでは子供たちの表情にスポットが当たってて何を見て歌っているのかわかりません。

仮にあの目線の先に音符だけの譜面(ドレミがふってない)があってそれを見て歌ってるのだとしたらかなり優秀だと思います。 つまり目線の先の譜面を別の譜面に差し替えたらそれを見てみんなで歌えるということを意味します。

「優秀」といいましたが、ピアノの演奏の場合、子供が弾くようなソナチネやブルグミュラーあたりの曲でもこのメロディーよりはるかに複雑な動きをしている上、 ト音記号だけではなくヘ音記号でも同じように読めなければ弾けるようにはなりません。

つまり理論的に考えて子供といえどもト音記号、ヘ音記号に関わらず音符をみて上記程度の譜面のメロディーを見て歌えなければソナチネブルグミュラーといえども弾くことはできないということです。 あるいは弾くために相当苦心することとなるでしょう。

要するにあのメロディーを譜面だけ見て歌う能力はピアノを習う子供にとっては「優秀」ではなく必須、最低条件なのです。

では何故「優秀」といったか。 当教室には大手音楽教室をやめて移ってくる子供たちが少なからずおります。この子供たちに共通することはまず100%と言っていいくらい簡単な譜面も読めません。 親御さんに話を聞くと「本人が譜面を読んで練習して欲しい」「有名なクラシックをある程度譜面を見て弾けるようにさせたい」といいます。 しかし残念ながら既に手遅れなのです。

手遅れというのは、親が望むようなそういった基礎を仕込む時期をとうに逃しており、 親や周りがいくら望んでも本人が受け入れない、譜面に対し拒否反応をおこすからです。

何故拒否反応がおこってしまうのか・・

音符自体の読み方が分からないという訳ではないのです。 既に曲をマスターするのに鍵盤の動きや耳で聞いて覚え込んで弾くことが染みついており、 譜面を見ることが弾くのにまったく役に立たない状態にあるからです。 したがって、聴いたことがない曲は弾けない、模範演奏がないと覚えられない、その音符が「ド」だと読めてもどの高さの「ド」だかがわからない、 だから読む意味がない、いつまでも読めない。

このような状態の子供に周りがいくら望んでも今すぐ譜面を読んで練習をさせるのは到底無理なのです。

西洋では音楽を習う子供は必ずソルフェージュから始めます。 ソルフェージュとは一言でいってしまえば譜読みの為の基礎科目です。聴音や初見視奏も含みますが、 まずは音符が読める、リズムが取れるといった基礎能力を最初に徹底して仕込みます。

日本の音楽教育では拍やテンポを感じることより、古くからメロディーを間違わず弾くことに重きを置く傾向があるように感じますが、これははっきり言って大きな間違いです。 なぜかというと、ピアノ以外の楽器は大抵伴奏や他の楽器と合わせて演奏することが要求され、 そもそも現在我々が慣れ親しんでいるバロック時代以降の調性音楽の歴史は楽器単独で弾くことよりも、カンタータやオペラ、室内楽のようにアンサンブルが主流です。

従って、拍が取れない、リズムがとれないということはこの時代音楽をする上ではあり得ないのです。 仮に音を弾き間違えたとしても、ただそれだけのことで、音楽は流れ続いていきます。 しかし、リズムや拍が不正確だったり間違ったらどうなるか?そのアンサンブルは崩壊します。 テンポ、リズム、拍は音楽の土台なのです。

ピアノは単独で和声的にも音楽的にも完成された演奏をすることが可能です。人と合わせて演奏しなくても音楽ができるのです。 が故にピアノを習う人の方が、ヴァイオリンや管楽器を習う人よりも圧倒的にテンポ感、リズム感が悪い人が多いように思います。 ピアノ学習者でメロディーを弾き間違えたら弾き直す人はよくいますが、拍が感じられなくて弾き直す人、リズムを間違って弾き直す(正しく弾こうとする)人はほとんどいません。 それどころか気づいてもいない場合が殆どといってもいいくらいです。 原因は拍を感じて演奏する習慣がない、メロディー(音の高さ)を鍵盤で弾くことがその人の音楽になってしまってるからです。 長年こういう状態のピアノ学習者に、「拍を感じて」「リズム感が悪い」といったとしても、先の音を覚え込んで弾く子供同様周りがどうこう言っても手遅れなのです。

何故、譜面が読めない、リズムが取れない状態になってしまうのか・・極論すればソルフェージュをやる習慣がなかったからです。

譜面を読む、リズムを取ることは、頭で考えてすることではないのです。  我々が普段文字を読むように、自然と掛け算の九九が出てくるのと同じ状態になければならないのです。 日本語をマスターするのに猛勉強をしましたか?掛け算の九九が未だに出来なくて困ってる人いますか? 同様に、譜読みも決して難しいことではないのです、単なる習慣なのです。

習慣とは、何も譜読みに限ったことではなく、例えば小学生のころから自宅で毎日決められたページ数ドリルをやる、問題集をやるというような習慣を持つと、 中学、高校と進むにつれて自然と自習できるようになり、学習時間、方法など自分で考え進めていく能力が身に付きます。

逆に、自宅でまったく机に向かう、1ページでもドリルをやるなどの習慣がないまま、中学、高校へ進んだとします。 定期試験など自分で試験範囲を学習しなければならなくなったときに何をどうしていいのか戸惑うのではないでしょうか。 自宅で机に向かう、問題を解く、スケジュールを立てるといった習慣がこれまで一度もなかったのです。

よく「勉強ができないから」「頭よくないから」という言葉を耳にしますが、 実はそうではなく幼少のころから「こつこつやる」「継続する」「自分で考える」といった習慣付けがないことが大きな要因になってるように私は思います。 こういった状態で仮に成績があまりよくない生徒に対し、「勉強しなさい」「もっといい点とるように頑張りなさい」と親や周りが言ったとしてどうにかなると思いますか?

何度も言いますが時すでに遅しなのです!


では、譜読みも勉強も何もかも手遅れでもうだめなのか? 本人がどうしても叶えたい目標なり目的が出来て、なんとかしたい!できるようになりたい!と望んで頑張れば大抵のことは出来るようになると思います。 ただ、そのための努力、決意がないとなりませんし、その状態から他力本願では実現不可能でしょう。

当教室には現在大手教室、他教室から移って来た子が少なからずおり、そのほぼ100%と言っていいくらい譜読みに問題があります。 本人も親もピアノが上手に弾けるようにはなりたいけど、譜読みはできない、かと言って努力決意できる年齢ではないといった状態です。

私はそういった基礎の「仕込み時期」を逃した生徒には、楽譜を書くことをやらせます。 譜読みに拒否反応を起こす子供でも、五線紙に音符を書くことには結構興味を持つ子が少なくありません。

簡単なメロディーの書き取り、自由なメロディーの創作などそれらを書いていく中でシンコペーション、付点、タイといった普段聴けばわかるけど、いざとなったら「読めない」「書けない」というリズムに遭遇します。 「こういうリズム書きたいけど、どう書くの?」といった具合に少しずつパターンを身に着けさせていきます。 最後に、自分の書いた譜面を演奏したり、リズムをたたいてみます。自分で書いた楽譜なので、俄然興味を持って子供たちはそのリズムをたたきます。

または、タイプによっては「今の譜読みの状態じゃこれ以上上手くなれない」ということを教え、実感させる方法もとることがあります。 しかし、これはショック療法ともいえるので、その生徒との心の距離感、信頼度を見極めて話すタイミング、時期を慎重に選ばなければなりません。 いきなりそんなことを言われたら大抵の子はやめてしまいます。

先に、耳や指で覚え込んで弾くことをしてきた子供は、鍵盤上のめまぐるしい動きや、黒鍵白鍵の入り組んだ「動き」にしか興味が持てず、 バイエルにあるような「ドミソ」「ドファラ」など大事な基本和音等の「型」「指使い」「譜読み」が出来ないとしても、 耳が真っ先にそれらを「退屈、つまらない音」と感じてしまって受け入れない為、一からやり直すことができないのです。

いずれにせよ、基礎を学ぶ為の時期を逃す、譜読みの習慣がないまま過ごすと、それを取り戻すのにとても大変な労力、時間がかかるのです。

何故、こういう状態になってしまうのか?何故大手、他教室をやめて来るのか?

皆ゆくゆくは譜面を見て好きな曲を弾けるようになりたいのです。

覚えて弾けるのは最初のうちだけです、弾きたい曲ができた、目標とする曲が出来たときに「このまま続けても弾けるようになれないな」と感じるから辞めるのです。 しかし、教室や先生を変えたからといってすぐにできるようになるものではないのです、そうなってからではもう遅いのです。

この段階ではもはや教室をやめるどころかピアノそのものをやめてしまってもおかしくありません。 ピアノをやめてしまう最大の原因は譜読みができないこと、だから楽しくないということなのです。

大手教室は必ずしも「音楽教室」のレッスン代で利益を上げてるわけではありません。入会者がまず楽器を購入、そこが出版する教材なりを購入、 発表会では生徒が参加費を負担しそれらを披露、その教室の、曲の宣伝してくれる。それを見た友達、兄弟なりが新たに入会する。

大企業なのでイメージはとても大事なのです。そこでの集団レッスンなり、イベントなりはそれはそれで楽しいものだと思います。そこでずっと楽しめれば辞める必要もなく何の問題も起きないのです。 ただ企業にとってはイメージ、宣伝が最優先ですので、生徒一人一人のニーズにあわせて基礎をしっかり学んで、無理なく上達を・・は二の次でしょう。 講師たちも企業ごとに指導マニュアルがあり、個人の裁量で指導できません。常に企業の利益、イメージアップに貢献しないとなりません。発表会に出させることが何より最優先となります。

大手批判する気はありませんが、たとえ辞めてしまう人がいても、それ以上に新しく入ってくる人がいるから問題ないのです、そしてまた新たに楽器、楽譜を購入して、宣伝をしてくださるのだから。


スポーツでも、芸術でも何事も基礎は大事なのです。続けるためにも楽しむためにも。

音楽の基礎はソルフェージュです。

従ってピアノの基礎は「ピアノ」ではないのです。

ソルフェージュは特に難しいことは何もありません、ただの習慣です。

単純なメロディーの譜面を見て自然と歌える、反応できればよいのです。

最初にやらない、だから習慣にならない、だから出来ない、だから難しいと思うのです。


あのCM、子供たちの見つめる先にはいったい何があるのでしょうか?

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